「みんなは頑張って学校に行っているのに、自分だけ休んでずるい」
あるいは
「あの子ばかり家でゲームをしていて、ずるいと言いたくなる」
と悩んでいる人は多くいます。
不登校という言葉の裏には、常に「ずるい」という感情が見え隠れします。
当事者自身が自分を責める言葉として、あるいは周囲が投げかける心ない言葉として、この「ずるい」は深く心に突き刺さります。
結論から申し上げます。
不登校は、決して「ずるい」ことではありません。
しかし、そう言い切るためには、「なぜずるいと言われるのか(言ってしまうのか)」という心の仕組みを理解する必要があります。
本記事では、不登校支援の現場知識と心理学的観点を交え、「不登校=ずるい」という誤解を解きほぐしていきます。
「ずるい」という感情の正体

まず、「ずるい」という言葉の重さについて考えてみましょう。
辞書的な意味での「ずるい(狡い)」は、「自分の利益のために要領よく振る舞うこと」を指します。
しかし、不登校の文脈で使われる「ずるい」は、もっと複雑な感情が入り混じっています。
それは単なる非難ではなく、発言者自身の「我慢」や「SOS」の裏返しであることが多いのです。
学校に行けないあなたは、今「楽をして得をしている」状態でしょうか?
おそらく、家で休んでいても、心は休まっていない人もいるはずです。
「明日は行けるかな」「将来どうなるんだろう」という不安が常に頭を支配しているでしょう。
「得をしているように見えるけれど、実際は苦しみの渦中にいる」 このギャップこそが、「不登校はずるい」という誤解を生む最大の原因です。
ここから先は、その誤解の正体を論理的に暴いていきます。
【心理分析】なぜ周囲は「不登校はずるい」と言うのか?

兄弟やクラスメート、あるいは近所の人たちが「ずるい」と言う時、彼らの心の中では何が起きているのでしょうか。
相手を責める前に、相手の心理を知ることで、冷静に対処できるようになります。
隣の芝生は青く見える(相対的剥奪感)
心理学には「相対的剥奪感」という言葉があります。
人は、自分の状況を客観的に評価するのではなく、他者と比較して「自分は損をしている」と感じた時に強い不満を抱きます。
- 学校に行っている子: 嫌な授業を受け、早起きし、先生に怒られるストレスに耐えている。
- 不登校の子(に見える姿): 好きな時間に起き、ゲームをし、誰にも怒られない。
学校に行っている子にとって、不登校の子の「苦しみ」は見えません。
見えるのは「自由な時間」だけです。
自分が我慢している「学校へ行く」という苦行から解放されている相手を見て、「自分だけ損をしている(剥奪されている)」と感じ、それが「ずるい」という攻撃的な言葉に変換されます。
「公正世界仮説」のバイアス
多くの人は無意識に「努力は報われるべきだし、怠ける者は罰せられるべきだ」という世界観(公正世界仮説)を持っています。
- 学校に行く(努力)= 正しいこと
- 学校に行かない(怠け)= 間違ったこと
この図式を信じている人にとって、学校に行かない子が家で笑っていたり、元気そうにしている姿は、「バチが当たっていない」状態に見え、許せないのです。
「苦労していないのに守られている」ことが、彼らの正義感を逆なでしてしまいます。
未知への恐怖と理解不足
人間は「理解できないもの」に対して攻撃的になる本能があります。 かつて不登校は「特殊なこと」でしたが、今はクラスに数人いる時代です。
しかし、昭和的な価値観を持つ大人や、真面目一徹で生きてきた人にとっては、「学校に行かない選択」そのものが未知の領域です。
「理解できない」という不安を打ち消すために、「あれはずるいことなんだ(悪いことなんだ)」とレッテルを貼って安心しようとする心理が働いています。
これは年配者に多い傾向にあります。
【当事者へ】あなたがずるくない決定的な3つの理由
もしあなたが「自分はずるいことをしている」と責めているなら、ここで断言します。その罪悪感は不要です。論理的に見て、不登校はずるい行為には当たりません。
「見えない鎧」を着て戦っている
学校に行ける子は、いわば「普段着」で学校に行っています。多少の嫌なことはあっても、致命傷にはなりません。
しかし、不登校状態にある子にとって、学校に行くことは「重さ50kgの鎧(よろい)」を着て戦場に行くようなものです。
感覚過敏、HSC(ひといちばい敏感な子)、対人恐怖、起立性調節障害…。 これらは目には見えませんが、確実にそこに存在する「重り」です。
重い鎧を着て動けなくなっている人を指して、「歩かないなんてずるい」と言う人はいません。
「休息」と「サボり」の医学的な違い
「サボり」と「不登校(休息)」の違いは何でしょうか?
- サボり(仮病): 休むことに後ろめたさがなく、休んだ時間を心から楽しめる。エネルギーが余っている状態。
- 不登校(休息): 休んでいても罪悪感があり、心から楽しめない。エネルギーが枯渇している状態。
もしあなたが、家でゲームをしていてもふとした瞬間に不安になったり、夜眠れなくなったりするのであれば、それは「エネルギー切れ」のサインです。
骨折した人がギプスをして休むのと同じで、心のエネルギーが回復するまで休むことは、生命維持のための「必要な処置」であり、ずるい行為ではありません。
将来への不安という代償
「ずるい」と言う人は、不登校の子が支払っている「代償」を知りません。
学校に行かないことで、勉強の遅れ、進路の選択肢の減少、社会性の欠如への恐怖といった、巨大な不安という代償を、あなたは毎日支払っています。
「楽」をしているのではなく、「将来への不安」と引き換えに「今の安全」を確保しているに過ぎません。
これほど高いコストを払っている状態を、誰も「ずるい(利益を得ている)」とは呼べないはずです。
「自分はずるいのかも…」という罪悪感の消し方

他人からの言葉以上に辛いのが、自分自身から湧き上がる「自分はずるい」という声です。
「ずるい」を「羨ましい」に脳内変換する
誰かがあなたに「ずるい!」と言った時、あるいはネットで書き込みを見た時、それは「私も休みたい」という悲鳴だと翻訳してください。
彼らはあなたを攻撃したいのではなく、自分の疲れを訴えているのです。
「ずるい」と言われたら、「ごめんね」と謝る必要はありません。 「あなたも疲れているんだね」「今の日本社会は、みんな休みが足りていないんだな」と、客観的に捉え直しましょう。
相手の感情を自分の責任として引き受けないことが重要です。
罪悪感は「責任感が強い証拠」と捉える
本当にずる賢い人は、自分がずるいかどうか悩みません。
「自分はずるいのではないか」と悩むこと自体が、あなたが真面目で、責任感が強く、他人の気持ちを考えられる優しい人間であることの証明です。
その優しさを、今は他人ではなく自分に向けてあげてください。「ここまで悩むほど、自分は真剣に生きようとしているんだ」と、自分の苦悩を肯定してあげましょう。
不登校という経験が「強み」に変わる未来
最後に、少し先の未来の話をしましょう。 「不登校はずるい」と言われ、悩み抜いた経験は、決して無駄にはなりません。
不登校を経験した人は、以下の能力が高くなる傾向があります。
- 他人の痛みがわかる優しさ: 自分が弱者の立場になったことで、困っている人に寄り添える共感力が育ちます。
- レールから外れる度胸: 「みんなと同じ」でなくても生きていけることを知ると、独自のキャリアを築く強さになります。
- 内省する力: 孤独な時間の中で自分と向き合い続けた結果、深い思考力が身につきます。
今、あなたが感じている「ずるいと言われる悔しさ」は、将来、あなただけのオリジナリティある人生を作るためのエネルギーに変わります。
多くの著名人や起業家、クリエイターの中にも、不登校経験者はたくさんいます。
彼らは「ずるい」と言われた時期を乗り越え、それを「賢い生き方」へと昇華させました。
まとめ
不登校は、決してずるいことではありません。
それは、あなたが壊れてしまう前に自分の身を守ろうとした、本能的な防衛反応であり、勇気ある撤退です。
本記事のポイントを振り返ります。
- 「ずるい」の正体は、相手の「羨ましさ」や「理解不足」である。
- あなたは「見えない鎧」を着て戦っており、休息は権利である。
- 「楽をしている」のではなく、「将来の不安」という代償を払っている。
- 罪悪感を持つ必要はなく、自分を守ることを最優先にしていい。

